Fate/Dawn walker
池沢 賢作
第一部 ― 百日戦争
プロローグ ― 夢 ―
― 一つの終焉 ―
私
その日、世界は終わりました。
視界に映るのは空を呑み込むほど大きな黒い太陽と、其れを縁取るように燃え盛っている炎と、鼻を衝く死臭を放っている死体の山。
本当に其れは唐突だった。いきなりだった。
何の予兆も無く始まって、そして直ぐに終わった。
理不尽を感じる時間も無くて、恐怖を感じる暇も無くて、錯乱する間もなくて。
何もかもが性急且つ圧倒的過ぎて、何が起きたのか、どうして起きたのか、いやそもそも自分は今何処にいて、どうしているのかすら分からなかった。
私
感じるのはただただ世界が『黒』に侵食されて犯されていく感覚と『ああ…、もう終わりなんだな』という事実の再確認だった。
そんな中、不思議にも私の心は凪いでいて、とても冷静だった。穏やかだったとさえ言っても良い。
私
自分でもそんな自分が奇妙に思えた。世界が終わって、失くなってしまうのだから、もうちょっと取り乱すなりしても良いと思うのだが、と。
だが、其処で気づく。
そうか…、私はもう今の私以外の全てを失っているから、怖くも何ともないんだ。今此処に居る空っぽの自分が消えて失くなってしまっても、惜しむ様な物でもないものな……。
だって…、何を失くしてしまったのかさえ、分からないほどに、私にはもう何も無いんだから……。
私は炎の爆ぜる匂いと死臭に満ちた空気を鼻から深く吸い込み、ゆっくりと、静かに口から吐き出す。
その時の私は何だか、おかしな心持だった。
形容しづらいこの心の感覚は何なのだろう?
喪失感?
いや違う。ここまで何もかも失ってしまっては、喪失感すら感じようが無い。
悲哀?
馬鹿な。失った物が何なのかすら分からないのに、何を悲しめって言うんだ。
喜び?
其れこそまさかだ。失ってしまう事が喜ぶべき事でない事ぐらい、さすがに分かる。
ではいま胸につかえてとどまっているこれは一体何なのだろう。
喪失感でも、悲哀でも、喜びでも、他のどの感情でもない物。
もしかすると、今まで名前などまだ付けられたことのない感情なのだろうか?
ならば、なんと呼ぼうか?何と名付けようか?
答えは私の中で直ぐに出た。
『死』だ
考えて見れば簡単な問いだった。
私
死に行く世界が感じ得る物などそれ以外には有り得無い。
私の胸にあるこの感情も、『黒』に蝕まれていく感覚も、こうして考えている思考も、それら全てが『死』なのだ。
そうしてもう間も無く私自身も『死』ぬのだろう。
しょうがないか……。
そう、しょうがない。どんな理由と経緯と状況があったにせよ、今私の身に起きている厳然たる事実は『死』なのだから、どうしようも無い。
できる事があるとすれば其れを受け入れる事ぐらいだろうか?
まぁ、受け入れるも何も、拒む気なんて元から無いけど……。
自分をすら失ってしまった私に「死にたくない」と『死』を拒む理由など無いし、ましてや「生きていたい」と『生』を渇望する理由など有る筈も無い。
そうこうしている内に『黒』に蝕まれる事で感じていた僅かな己が身体の感覚すらも徐々に失せてきて、耳に聞こえていた炎が燃え盛る音や僅かばかり生き残っていた者達の断末魔の声も遠くなっていく。目蓋が異様に重たくて、今にも閉じてしまいそうだった。
いよいよ終わる。
「………………」
言うべき事など、残すべき言葉など何も無い。
なるべくしてなる、死ぬべくして死ぬ、終わるべくして終わるのだから。
ただ、
「きれ、いだ…な……」
空を覆っていた黒い太陽が霞みのように掻き消えつつある、それを待っていたかのように姿を現した朝焼けは、全てを焼き尽くした炎を物ともせずに全てを赤く染め上げる夜明けは、暗転して行く視界で最後に見た其れは、意味無く声に出して言ってしまうほど美しかった。
― 渦 ―
渦の中に居た。
何処なのか、何なのか、何時なのか、まるで分からなかった。
でも、これだけは確かだ。
その時、渦の中に居た。
とても大きな大きな渦で、これに比べれば海の渦巻きや竜巻なんて芥子粒の様に小さい。
渦を形作っている物は……正直何なのかよく分からなかった。
生暖かくて、ドロドロとしていて…そう、『泥』の様な何かだ。
その『泥』の渦はゆっくりと、しかし、圧倒的な力を持って流動し、渦巻いていた。
その流れの前には流されて、削られて、砕かれて、磨耗して行く。
誰であろうと、何であろうと、形を保ってなどいられはしない。
流されて行く、削られていく、砕かれていく、‘○○’を形作っていた物の残滓が。
まるで、コーヒーの中に入れられて溶けて行く角砂糖みたいに。
苦痛は全く無かった。
少しも無かった。
それ所か、苦痛とは逆のベクトルの物を感じていた。
何だか、疲れ切って、強張り切ってしまった身体を優しく解きほぐされていく感覚だ。
安らぎとかではないが、何と言うか、あらゆる物と柵から解き放たれていく感じだ。
でも、何故なのだろう?
苦痛も感じない、開放感すら感じているのに、流されて行く、削られていく、砕かれていく、その事に胸が締め付けられた。
これが『悲しみ』って奴なのかな……?
溶かされて、『泥』の渦と混ざり合って行く中、飽和して行く意識でそんな事を思った。
― 夢幻の残骸 ―
この世は悪で出来ている。
善も愛も徳も中庸も中立も夢も希望も栄光も繁栄も罪も罰も業も恐怖も絶望も怒りも悲しみも衰亡も破滅も悪以外の全ては原書なる世界――悪から零れ落ちひり出された副産物――滓に過ぎない。
悪こそがこの世の真実にして、正体。
悪こそがこの世のあるべき姿。
無垢なる世界、其れ即ち純然たる悪である。
我こそはこの世全ての邪と悪徳と呪。
この地にて、我が血肉を持って大いなる杯を汚し、背徳の洗礼者が呼び寄せし災火と、其れに捧げられし供物を糧として生を受けん。
我が生まれしはこの世全てを喰らい尽くす為、飲み尽くす為、殺し尽くす為。
禊をもってこの世を無垢なる原初の姿へと立ち返らせん。
我は空腹である。我は渇いている。我は欲している。
貴様らは全て我の糧である。
我が禊を行う為の贄である。
其の身と其の心と其の魂を我に捧げよ。
我が一部となりて全てを悪に染め上げるがいい。
我が行く道を妨げる者、何人たりとて許しはせん。
我が禊を邪魔する者、いかなる者でも容赦はせん。
犯し殺し喰らってくれよう。
貴様もまた我が臓腑にて無垢なる原初の悪へと回帰しろ『天秤の守り手』よ。
貴様が抱く滓――偽りの正義と共に。
― Moon drop ―
生まれて最初に出会ったのは、牙の折れた度し難い虎狼だった。
その男は有り体に言って良い父親とは言えなかった。
少なくとも親子として生活して行く上では人格的に別段問題は無かったのだが、あまりにズボラで大雑把で面倒臭がり、生活力は皆無、家事は子供に任せっ放し、家に居つかない性質で一・二週間家を空けるのは当たり前、酷い時は数ヶ月間音信普通になる事もある等々、駄目な所を言い出したらキリが無くなる位だった。
でも、そんなダメな所が目白押しの人間でも、其の男はどうしようもなく、誰が何と言おうと俺の父親だった。
父である其の男はいつも紫煙とは別の煙たい匂いと鉄臭い匂いを漂わせていた。
それが硝煙と血の匂いなのだと知ったのは随分後だった。
男に染み付いたその苦い匂いを隣で嗅ぎながら、俺は聞く。
「もうさよならなの?」
無言で首肯する男に俺は表情も変える事無く静かに「そう……」と呟いた。
予想していた答えだったから、驚きはしなかった。
そんな俺を見て、男は苦笑した。男もそんな俺の反応を予想していたのだろう。
「何も出来なかったなぁ…本当に」
男は独白するようにして呟く。
「自分が抱いた理想を貫き通す事も出来ず、愛した人や仲間を守る事も出来ず、助け出す事も出来なかった…残ったのは自分と夢の残骸だけ……」
俺は男の自嘲とも愚痴とも取れる独白を聞いて、少なからず驚いた。
この男は決してこんな事を言うような人間ではなかった。
後悔だけはしない、それがこの男のこの男たる所以であり、俺がこの男を尊敬している理由の一つだった。
俺は言の葉を口にする代わりに男の手を握った。
強く強く握り締めた。
男は少し驚いた顔を見せるが其れは一瞬、口元に和えかに笑みを浮かべて、俺の手を握り返し、「うん……うん……」と、頷く。
男の頬に伝っていく雫は月光でキラキラと光っていた。
まるで、月から零れ落ちた雫のように青白く輝いていた。
作者様より簡単な内容説明
コンセプトとしましては、もし、士郎がFate/stay night本編のような悲壮な覚悟を持った『正義の味方』ではなく、其れとは正反対に居る忌まわしい過去と力を有した『世界の大敵』だったら?と言うIFストーリーです。
1部〜3もしくは5部までで『世界の大敵』である士郎の少年期、青年期、晩年までの話を書いていきたいと思っています。
管理人より
久しぶりの新しい方の投稿ありがとうございます。
世界の敵としての士郎が、どのような人生を歩むのか楽しみにしています。